文武両道の先輩に学ぶ(行うことが大切)

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2014(平成26)年3月5日
林 孝治(高2回)

(まえがき)
289年の歴史を刻む「修道」で「道」を「修」めた有為な方を紹介いたしましょう。

中国広東州出身の「呂 作霖」先輩 琢章会『修道』(校友会クラブ等の活動の広報雑誌)の記録と『修道蹴球のあゆみ』(昭和5年 山口遠征記)そして『修道学園会員名簿』により紹介しましょう。時代が変化しても変化しないもの、変えてはならないものがあります。
同窓生や後輩達の学びの参考にしましょう。

[呂 作霖氏]
呂先輩は昭和7年旧中23回卒業生(修道学園会員名簿による)であります。蹴球部(現在のサッカー班)に所属されゴールキーパーでした。当時の中学校は5年生で卒業でしたが、4年生の時に東京にありました第一高等学校(現在の東京大学)に進学されました。
琢章会発行『修道27号』に同級生の記事があります。


「関西学院主催の中学校蹴球大会戦記」  上田 幸彦(旧中22回卒)

第一戦は岡山師範との対戦でしたが対戦相手が棄権したため不戦勝でした。
第二戦が8月28日午後2時キックオフで和歌山師範との試合にGKとして出場されております。
LW田淵、LI音谷、CF中野、RI久保、RW中西、LH松本、CH森田、RH横田、LF福満、RF中山、GK呂、戦績は11対0で大勝でした。
第三戦は8月30日午後1時30分キックオフで、神戸二中との対戦にメンバーはCF中野に替わり横田、RH横田に替わり落合が出場しました。第二試合の勝因は立ち上がり早い時間帯の最初の一点にあり常に元気に試合運びのできたことにあるが、ホワードのパス回しも決して良くはなかったし、ハーフは後半には元気を欠いたが、天晴れてダークホース振りを発揮した。前半戦は敵の先蹴(キックオフ)で開始されるや否や、敵CF直木に好パスが回り我が軍(修道)の金門(ゴール)に迫るも、我が軍、その時よく防御した。その後も敵直木の再三にわたるショット(シュート)をGK呂よく、これを受け球(ボール)をRW中西に出した。その球、逆襲となり敵ゴール近く攻めCF横田LI音谷一緒にショットなし(シュートして)我が軍逆襲なり一点を得る。しかるに,敵は屈せず猛襲に猛襲を重ね、しばしば我が軍のゴールを攻め立てるも我が軍バックよく防ぎ、又も十分にしてCF横田ショットに一点を加ふ。なお敵は屈せず攻むれども我がバック防ぎ一点も許さず、二十八分にしてCF横田又一点を取り前半を終る。
後半戦は両軍よく攻むれども両軍のバック強く、度々のチャンスを逃し、一進一退に白熱戦を演ず。五分RW中西ショットせしもゴールの好守(GK)にはばまれたり、敵のゴール見事なるスライデングは敵ながら天晴なるものなり。
第四戦が準決勝戦となり8月31日午前11時キックオフで神戸一中との対に再びCFに横田に替わり中野が出場した。我が軍(修道)のキックオフで始まり、敵(神戸一中)猛然として攻撃す。RF落合の失策に敵のLWのヘデングに一点を先占さる。我が軍猛然として奮起し敵のゴールにしばしば襲い八分RW久保ショットせしもゴール(GK)の好守に入らず十四分また攻めシヨットせしが、かへって敵の逆襲になり、また一点を取らる。10分敵のRIの蹴りし球を福満ハンドなし、ペナルトキックを与え、計三点を許せり。我が軍ホワード奮起逆襲、猛襲を重ねしが得点とならず前半三対0に終る。
後半戦 我が軍猛然と突進に突進を重ね三分にして、ペナルトキックに一点を取返し意気大いに揚がり十分にショットせしも入らず度々敵を苦しめるも、敵もさるもの、その巧妙なるパスと逆襲に十二分一点、三十二分に一点を取り、我が軍の奮闘甲斐なく、我が軍を完全に乱して得点せり。その巧妙なる作戦は敵ながら感服の外はない。而して五対一のスコーアで敗る。


琢章会発行『修道第28号』による
「旧友 呂 作霖 君の第一高等学校入学を祝して」 四年三組 松井 章(旧中23回卒)

不屈不撓の勤勉と確固たる意志の表れとして目出度く第一高等学校(現在の東京大学)に入学されたる君
――― 呂 作霖君に衷心よりお慶びを致すものであります。
一高と言えば天下の誰しもの入学を欲する名校。此の度の受験者は此君と同国の人々とは言へ、実に百三十有余名、入学許可者の十倍にも近からんとする勢、斯の如く競争激しき中に入って、堂々彼等を圧倒し、その栄冠を握り得られたとは、実に敬服に耐えない所であります。
思えば我等と共に学び、共に運動せられたこと実に四ケ年―――この間、精神的に又肉体的に君の感化に依って好影響を受けたことの甚大なる者は独り、私のみではありますまい。毎年春秋二回の競技大会に我が蹴球部(現在のサッカー班)を統率し元気溌剌として敵軍を圧倒せられた君の勇壮な姿は、私達の永遠に消へ失せることの、出来ない最大の印象でありましょう。
君の如きよく日本を理解し、且好意を持つた者が、司政者となられることは、実に喜びに堪えない次第であると思うのであります。此処に些かに所感を述べて、君の入学のお祝ひ致すの辞に代へます。幸いに、健全にて、君の大望を成就致されん。ことを、お祈りいたします。


「留学所感及び旧友に感謝する辞」 呂 作霖

私は幼い時に私のなくなったやさしいお祖父さんが、度々彼の過去の経験した事を私に話しました。彼は言ふにのは「作霖よ―――お前は大きくなったら日本へ留学さしてやるぞ」と言ひました。前から留学することをあこがれてゐた私はお祖父さんの「留学さしてやるぞ」と一言に私の若い脳髄を刺戟したので、小学生時代テニスの選手をしながら一生懸命に勉強した。六年生の時に留学検定に合格した。併し其の時、自分は却って幾分か心配した。「日本人は外国の租借地に親切な風をしてゐるが其の内地に行けば軽蔑さりやしないか知ら?つまり若しさうだつたら直ぐに帰るぞ」と想像した。併し虚心者の私は、実地に踏んでから見れば自分の妄想は全然間違ひであったと知った。
昭和二年二月二十三日自分は従弟の士謙と一緒に、威風堂々として玄界の怒涛を突破して渡って来た。私は未だ始めは言葉さえ知らなかった。授業中に先生の講義は勿論、休憩時間に友の雑談は私は恰も盲人が案内者なしに孤旅する様に解らなかった。時々自分は涙が出る程苦しかった。幸に愛情の深き級友達は国際の事を考えずに「四海の内は皆兄弟なり」と言ふ句を実行したので誠心誠意に愚かな私を教えて呉れた私は夜になって寝床に入って後、じつと目を閉じ手を胸にあてて、しみじみと日本の恩恵を感じた。
実際―故郷に於いては日本の善政を受け、留学生たる自分の身に於いては、莫大なる教育を賜はり私は何と幸運児であろう。今度私は、一高(現在の東京大学)の入学の目的を達したのは級友の力だ。級友のお蔭だ級友よ、そもそも過去四星霜を顧るに、実に鳥兎匆々たる日月でありしを痛感する。諸君と運動の時にはグランド、勉学の時には教室、談笑の時にはプラタナスの蔭の下、互に面白く且楽しく吾等の無邪気な生活を過した私は、何時までも此の楽しい生活を味ひたい。諸君と別れるのは無上の悲しい事だ。併し一方に「生者必滅曾者常離」の宗教的の言葉を思ひ出した。
どうせ吾々は、此の言葉をはなれて他の軌道を歩むことが出来ないのだ。又私は送り迎へて年々に、主張は長し我が校是の神聖なる校歌を歌ふ時、幾分か私の悲しみを愉快的行面へ導いてくれた。嗚呼―級友よ、人に対する送る辞の純情にて私は感涙を催しましたよ。吾々の別れは単に肉体的の別れだ。吾々の精神は矢張り一緒に居るんのだ。
願くば諸君、己れの将来を処する提灯を得、大方針、大理想を画き邦家救済を一身に荷ふ大勇猛心を振り越し、修養を怠らず、個人の為め、母校の為め、国家の為め、尚進んで東洋の為め互いに努力して東洋の文化を進めることに蹶起しようぢゃないか?
最後に諸君の健康を祈る。


(あとがき)
呂先輩は、故郷から離れ、気候・風土・文化・言葉・文字等々のなにかにつけ不自由な異国に留学されました。特に母国語以外の言葉や習慣を身につけなければ毎日の生活ができません。あらゆるハンデを克服され、毎日の授業にも精通され、部活のサッカーにもゴールキーパーとして特殊の技を身につけられました。しかも普通の生徒でも困難な東京大学に4年生で合格されました。文武両道を実現された鏡のような先輩ではないでしょうか。

時代の変化に伴い、現在は日本人も留学が拡大され、海外企業で働く人、海外の支店や工場で働いている人が多くなっております。今後もグローバリゼーションが進んでおります。新しい時代に適合する必要な人材を社会が求める時代に変わりつつあります。2か国以上の言葉・文化・習慣が要求される時代になっていると思われます。
過去の歴史を学び、新しい知識を加えて、将来を見通して生き抜こうではありませんか。ひたすら精進・努力する姿は美しい。自分を磨き、世の中に必要とされる人物でありたい。
繰り返しになりますが、生涯学習として、すべての人(倫理)と物(物理)から学ぶこと。そしてすべての生命を尊重し、すべての人と物に感謝して生きようではありませんか。

文武両道1.JPG

     後 列  森田・落合・音谷・福満・呂・中山・花本・古武
     中 列  塚部・水野・辰野(先輩)・秋山(先生)・渡辺(先輩)・榎並・平野・飯田        
     前 列  松本・久保・景山・高橋・田淵・中西・大倉

文武両道2.JPG      上: 呂
      下: 秋山元英先生